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東京高等裁判所 昭和56年(う)697号 判決

被告人 佐野一正

昭一四・一二・二生 柔道整復師

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人本多清二及び同梶原等が提出した各控訴趣意書にそれぞれ記載してあるとおりであるから、これらをここに引用する。

弁護人梶原等の控訴趣意、原判示第一の事実に関する事実誤認の主張について

所論は、要するに、被告人が太田茂夫に対して暴行を加えた事実はなく、また、これを認めるに足りる客観的な証拠もないのに、被告人が太田茂夫に対して原判示のような暴行を加えて傷害を負わせた旨認定処断した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも加えて検討すると、原判決挙示の関係証拠を総合すれば、原判示第一の事実は、すべて優にこれを肯認することができ、また、原判決が(判示第一の事実についての弁護人の主張に対する判断)として認定説示するところも、すべてこれを肯認することができる。すなわち、証人太田茂夫の原審(但し、以下、原審に併合前の富士吉田簡易裁判所におけるものをも含め、すべて原審と略称する。)公判廷における各供述は、犯行前後の事情、犯行の状況、受傷後の行動等について、極めて具体的かつ詳細であるうえ、その供述内容に不合理、不自然な点もなく、また、ことさらに虚偽の陳述をしているものとも認められず、その信用性に欠けるところはないものと考えられるばかりでなく、その供述内容は、太田茂夫が受傷した直後と認められる時期に、原判示飲食店「美也川」の経営者三浦富紀子の三男である三浦浩司(昭和四四年二月二三日生)において、口から血を流していた太田茂夫の姿や、店のカウンター、椅子等に血痕が付着しているのを現認していること、また、その直後帰宅した同人の母三浦富紀子や、たまたま同店前を通り掛った渡辺与一においても、太田茂夫が口のあたりから血を流しており「接骨屋の佐野にやられた。」といつているのを見聞していること、さらに、当日午後、たまたま治療を受けるために高橋外科病院へ赴いていた深沢保則においても、太田茂夫が口のあたりをタオルで押さえながら他の者に伴われて同病院に来たのを現認していることなど、原判決挙示の関係各証拠により認められる事実とも符合するものであつて、その信憑性は極めて高いものと考えられ、これら各関係証拠を総合すれば、原判示第一の事実はこれを認めるに十分である。

所論は、医師高橋常和作成の診療録中の現病歴欄に、被害者太田が昨日来顔面の挫傷で疼痛を訴えている旨の記載があることを捉えて、受診当日被告人に殴打されて受傷したという太田茂夫の供述は虚偽であるというのであるが、右欄の記載は、もともと太田茂夫の説明を内容とするものであつて、他の診察、診断内容を記載した部分と異なり、同人の説明の誤りないし医師高橋の聴取りの誤りなどによるものとみる余地も存すること、太田茂夫は高橋外科病院において下口唇部の縫合治療を受けているところ、証人高橋常和の原審公判廷における供述によれば、新鮮な傷でなければ縫合しないものであることが認められること、さらに原審証人三浦浩司、同三浦富紀子、同渡辺与一らによる前記のような目撃状況などをあわせ考えると、右のような診療録の記載をもつて、直ちに原判決の認定を左右するに足りるものとは到底認められない。

また、所論は、被告人にはアリバイがあるというのであるが、この点に関し、原判決が(原判示第一の事実についての弁護人の主張に対する判断)二において詳細に認定説示するところも、すべてこれを肯認することができる。たしかに、証人宮下尹子、同宮下謹次の原審公判廷における各供述中には、所論に添う供述部分があるが、右供述内容には、当日の気象状態や、被告人も原審公判廷において認めている宮下真奈美に対する治療状況等他の証拠によつて認められる事実と相違する部分が認められ、信用性に乏しいばかりでなく、前掲関係各証拠と対比して到底措信することができない。

その他、所論は、原判決の判断を種々論難するが、いずれも証拠の不正確な評価ないしは独自の解釈に立脚するものであつて到底採用することができない。また、前記認定に反する被告人の原審公判廷における供述部分は、他の関係各証拠と対比して措信することができず、他に、原判決の認定を左右するに足りる証拠はない。

以上のとおり、原判決に所論指摘のような事実誤認は存せず、論旨は理由がない。

弁護人本多清二の控訴趣意、原判示第二の事実に関する法令の解釈適用の誤りの主張について

所論は、多岐にわたるが、要するに、(1)診療放射線技師及び診療エツクス線技師法(以下診療放射線等技師法という。)制定の経緯、立法の目的、趣旨に照らすと、柔道整復師の資格を有するものが、その治療のための前提として行う診断行為、すなわちエツクス線を診断のために人体に照射する行為は、診療放射線等技師法二条二項の「放射線を人体に対して照射する」場合にはあたらないと解すべきであるのに、被告人の行為が同法二条二項に該当し、無免許で右行為を業として行なつたとして同法二四条三項、一項、二条二項を適用処断した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の解釈適用の誤りがあり、(2)かりに、右主張が認められないとしても、柔道整復師が、自己の許容されている範囲内での施術、治療を有効かつ適切に行うために、エツクス線による診断を行うことは有益であり、かつ必要性の高いものであり、社会的に許容されているものであつて、可罰的違法性を帯びた診療放射線等技師の業務の侵害にはあたらないというべきであるのに、被告人の行為が同法二四条一項、二条二項に違反するとした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の解釈適用の誤りがあり、(3)さらに、柔道整復師が柔道整復術を有効、適切に行うためには、エツクス線による診断が必要であるところ、かかるエツクス線による診断が許されないとする原判決の解釈は、柔道整復師の職業の自由を不当に制限するばかりでなく、国民が良質な医的サービスを受ける権利をそこなうものであつて、憲法二二条一項、一三条、二五条の趣旨に抵触する違法があり、(4)被告人が、診断のためエツクス線を照射した行為は、柔道整復師としての正当な業務ないしは社会的相当行為と解すべきであるのに、これを認めなかつた原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな刑法三五条についての解釈適用の誤りがある、というのである。

記録によれば、原判決は、原判示第二のとおり、被告人が医師、歯科医師、診療放射線技師又は診療エツクス線技師の免許を有しないのに、昭和四六年三月三〇日から同五三年九月二五日までの間四七六回にわたり、合計二二〇名の人体にエツクス線を照射し、これを業としたとの事実を認定したうえ、診療放射線等技師法二四条三項、一項、二条二項(一項四号)を適用していることは所論指摘のとおりである。

そこで、所論にかんがみ、法令の適用について検討してみるに、被告人の原判示第二の所為が診療放射線等技師法二四条三項に該当し、正当行為ないし社会的相当行為として違法性の阻却されるものでない旨の原判決の説示は、すべて正当として肯認することができる。すなわち、診療放射線等技師法は、放射線(エツクス線を含む。以下同じ。)が医療面に必要不可欠なものとして人の健康保持のために多大の貢献をする反面、その使用法を誤ると、人体に癒すことのできない障害を与える点に着目し、放射線の誤つた使用による人体に対する障害及び拙劣な撮影写真による診断の過誤を防止するため、医療関係者としての診療放射線等技術者の資格を定めるとともに、その業務が適正に運用されるように規律し、もつて医療及び公衆衛生の普及、向上に寄与することを目的として制定されたものである。そして、同法二四条一項は、医師、歯科医師、診療放射線技師又は診療エツクス線技師(以下医師等という。)でなければ同法二条二項に規定する業(放射線を人体に照射することを業とする)をしてはならない旨を規定しているが、右は医師等以外のすべての者に右の業務をすることを禁止し、例外を認めない趣旨であることは、文理上はもちろん、前記立法の目的に照らしても明らかであり、医師等とは独立に柔道整復の業務を行うことが認められている柔道整復師であるからといつて、医師等と同様に取り扱い、その規制の対象から除外されるべきものとは到底解することができない(人体に対する放射線の照射が疾病の治療のためであると、診断のためであるとにより別異に解すべきものでないことも、文理上及び立法の目的に照らして明らかである。)。したがつて、柔道整復師である被告人の原判示第二の所為が、診療放射線等技師法二四条三項により処罰されるべきであるとする原判決の説示は正当である。

さらに、被告人の本件所為は、柔道整復師の施術治療を有効に行うためにも有益であり、かつ必要性の高いものであるとしても、エツクス線照射が人の健康に害を及ぼすおそれのあるものであるところから、医師等以外の者にこれを業とすることを禁止している前記診療放射線等技師法の立法趣旨からみて、柔道整復師の業務の正当な範囲に属するものといいえないことは明らかであり、また、法秩序全体の精神に照らして是認され、あるいは一般に社会通念上正当なものであるともいえないことは原判決の説示するとおりであるから、可罰的違法性ないし刑法三五条の解釈適用の誤りをいう所論は採用することができない。そして、診療放射線等技師法二四条による前記の規制に合理性の認められることは、既に説示したところからも明らかであるから、憲法二二条一項、一三条、二五条違反をいう所論の理由のないことは言うまでもない。

その他、所論は原判決の法令適用について種々論難するが、いずれも独自の見解解釈に立脚するものであつて、到底採用することができない。

以上のとおりであつて、原判決に所論のような法令の解釈適用の誤りは存せず、論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は、同法一八一条一項本文を適用してこれを被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 内藤丈夫 三好清一 石田恒良)

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